ロックにしやがれ❗

悪魔と取引して、ロックに魂を売った伝説のロッカー達の魂の一曲を「ロックにしやがれ❗」という感じで、割りと冷静に発表しています。

【ラモーンズ】 ~悪魔さえ度肝を抜かれた華麗なるロックンロール~

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ラモーンズ
~悪魔さえ度肝を抜かれた華麗なるロックンロール~

ピストルズは大阪的で、遠慮もなく、洪水のように一気にどっと押し寄せて来く感じだった。それに比べると、当時ニューヨークのサウンドには、東京のように、複雑に絡み合う感情が溢れ出したかのような、都会の気取った不良といった印象を持っていた。
その中でも、度肝を抜かれたのはラモーンズだった。
最初から最後まで、問答無用に、繰り返しロックンロールを只々叩きつけ、こっちが着いて来ているかどうかなんて、全くお構いなしだった。
二十歳の頃、大阪の御堂会館で彼らのライブを観た時も、アルバムで聴くような生やさしい側面は全く感じられなかった。最初から最後まで「1・2・3・4」で曲が次々に客席に叩きつけられ、終始爆音のようなノイズに、頭を打ちつけられて、正に野球のバットでぶん殴られているようだった。
きっと彼らは、演奏を聴かせるというより、自分達がラモーンズであることにこだわっていたのかも知れない。
実際パンクは、曲やサウンドに、演奏スタイルやその生きざま、スピリットを色濃く反映した反骨精神を信条としている。それは、歌詞の言葉以上に、強烈なメッセージや、存在感の主張になっている。

シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんも「ラモーンズ以来、新しいと思えるイカしたロックバンドは出ていない」と話されていたと聞きます。
正に、ラモーンズというロックンロールは、最早、芸術だった。
ロック史上、最もイカした華麗なるロックンロールバンドは、一度も立ち止まらず、一度も振り返ることもなく、我々の胸に、強烈な傷跡を残して、ハリケーンのように、あっという間に過ぎ去って行ったのだった。

《魂の一曲》
ラモーンズの魂の一曲はやはりこの曲…

『Blitzkrieg Bop』
Hey ho, let's go…ラモーンズというロックンロールには、麻薬的な側面を感じる。胸にせまってくる…なんて程度の音楽に、何の刺激も感じない。もしも明日世界の終わりが来るなら、頭をバットでぶん殴られるような、ラモーンズの強烈な華麗なるロックンロールを聴きながらくたばりたいものです。

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【ウィルコ・ジョンソン】 ~魂を撃ち抜くマシンガン・ギター~

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ウィルコ・ジョンソン
~魂を撃ち抜くマシンガン・ギター~

ドクター・フィールグッドのギターとして知られるウィルコ・ジョンソン
初めてウィルコのライブを観たのは、確かまだ二十歳位だったので、80年代半ば頃だったと思う。
小学生の頃から、兄の影響で、ピストルズやストラン、クラッシュなど、パンクを聴き漁り、とにかく縦乗りのロックしか知らずに育った小生にとって、その時のウィルコのライブは、正に衝撃だった。
ドアを開けた瞬間、会場をぎっしりと埋めた客の群が、まるで大きな波のように、右に行ったり左に行ったりしながら、確かに横に揺れていたのである。
ステージの上に立っている、ウィルコの小気味よいギターが、心地好い独特のリズムを奏でながら、会場に自然なうねりを、次から次へと巻き起こしていた。

「これが横乗りのロックなのか❗」

その瞬間、小生の身体も、勝手に横に揺れ始め、会場の波の中にどっぷり飲み込まれていた。
ウィルコはコミカルな動きや、脚を開きながらジャンプするステージ・パフォーマンスで、更に客を煽り続けた。
そこに一度はまったら、病みつきにさせられる。悪魔の囁きのように、ウィルコの手で奏でられる、強烈なマシンガン・ギターは、最後まで会場中に炸裂し続けていた。

その後、毎年のように来日していたウィルコのライブには、三十歳になるまでずっと足繁く通いました。
一番印象に残っているのは、確かクラブチッタ川崎でのライブ。鮎川誠さんがゲストで出演していて、アンコールで二人がステージに立った光景は、それだけで感無量でした。二人の魂のギターリストが魅せてくれたロックという夢は、今でも目の奥に、鮮明に焼き付いています。

《魂の一曲》
ウィルコの魂の一曲は、やはりこの曲…

『She Does it Right』
小生は、ドクター・フィールグッドのバージョンより、ウィルコ・ジョンソン・バンドで、ウィルコ自身が唄いながら演奏しているバージョンが好きです。
ウィルコの囃し立てるようなカッティング・ギターとノーマンのボコボコ来るベースが、神経に沁み渡る珠玉の一曲です❗

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【 ジョニー・サンダース 】 ~悪魔と取引した魂のギターリスト ~

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ジョニー・サンダース
~悪魔と取引した魂のギターリスト ~

元ニューヨーク・ドールスのギターリスト、ジョニー・サンダース
1985年、田舎者だった小生が、初めて観に行ったライヴがジョニーだった。
その日、会場だった大阪の御堂会館は異様な雰囲気に包まれていた。
通路という通路を、鉄格子を構えて塞ぐ物々しい警備の中、革ジャンを着込んだ多数のパンク関係者が集結し、開演前から、ただならぬ空気が漂っていた。
開演時間を過ぎて、暫くすると、突然、けたたましいギターが会場に鳴り響く。ジョニーのレスポールJr. が魂のギターを奏で始める。
その瞬間、まるで会場のあちこちで、ショックで感電したような叫び声があがる。その声を更に掻き消すように、ジョニーのドライヴしたギターが、洪水のように押し寄せる。
「これがドールスの伝説のギターなのか‼」と一瞬に鳥肌が立った。
悪魔と取引して、ロックに魂を売った男は、本物のロックという夢を魅せてくれた。
そして、忘れられないあの瞬間…。
ラストナンバーの『Born to lose 』のギターが会場を撃ち抜いた…その時だった。
厳重な警備で身動きができず、ずっとフラストレーションがたまっていた観客が、客席の上を走り出し、一斉にステージに向かって押し寄せたのである。
揉みくちゃになっているステージの前では、観客が警備員と殴り合っている。
ジョニーのギターに点火され、爆発したパンクス達の暴動で、最早、危険な程の緊迫感が会場を支配していた。
『Born to lose 』が終わると、ジョニーは、立て続けに魂のギターを弾き始める。
『Pipeline 』
スリリングなギターが、トランス状態の会場に、更に怒濤のように押し寄せる。
ジョニーは、そのままステージサイドに置かれた、2メートル近く高さのある巨大なスピーカーの上に駆け上がり、仁王立ちになって『Pipeline 』を弾き続け、最後まで観客を煽り続けていた。

1991年、作家の山川健一さんのバンド、ザ・ルーディが日比谷の野音で企画したライヴに、忌野清志郎さんがゲストで出演していた。
誰がカバやねんロックンロールショウのステージで、着ぐるみの中から登場した清志郎さんは、ギターを持って突然『Pipeline 』を弾き始めた。
後から聞いた話では、その日、野音の楽屋に、ジョニーと友達だった鳥井賀句さんが現れ、その場で皆にジョニーが死んだという一報を伝えたのだという。
清志郎さんの『Pipeline 』は、あの世に旅立ったジョニーへのはなむけだったのかも知れない。

鳥井賀句さんはジョニーが亡くなる前に「今度日本に来た時にアコースティックのアルバムを作りたい」と言っていた彼からある音源を預かっていたという。
ジョニーの死後、彼の意志を引き継ぎ、賀句さんによって世に出されたのが、LAST LIVE IN JAPAN の『ACT .1』『ACT .2』『HURT ME MORE 』の3枚である。賀句さんは、そのアルバムの収益を全てジョニーの家族に送っている。

《魂の一曲》
ジョニーの魂の一曲は、やはりこの曲…
『Born to lose 』
「失うために生まれて来た」というこの曲は、正にジョニー自身のイメージそのものだった。
ジョニーの夢は、ギターにキース・リチャーズを、ベースにロニー・ウッドを従えて、唄うことだったという。まだまだ二人は元気だが、二人が天国へ行ったら、是非あの世で『Born to lose 』を三人で演奏して、ジョニーに夢を叶えてもらいたいと思う。

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